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相撲の番付【東】【西】分けることに意味はあるの?

力士?

Senlay / Pixabay

相撲の世界って歴史も長いのでハッキリと意味はわからないけど
「そーゆーもん」
って感じのルール、多くないですか?

番付のつけかたも「だいたい強い順?」くらいに思ってますけど、
今回のテーマである

【東】と【西】にわける意味は?どういう分け方?

とかですね。

じつは、現在の相撲のルールでは

【東】【西】にはあまり深い意味はなかったりします!(汗)

なのに東と西に分かれているのは何故なのか?
どうやって番付が決められていくのか?
相撲の歴史にも触れつつ一緒に見ていってみませんか?^^

番付の仕組みと歴史

力士の番付がどうやって決まっていくのか、東と西はどういう分け方なのか?

まずは相撲の歴史から見ていってみましょう。

力士?

Senlay / Pixabay

最古の番付表

現在残っている番付表としては最も古いのが江戸時代【宝暦】のもの。

*宝暦は1751~1764年

この時代の相撲は東軍vs西軍と明確に分かれていました。
現在では同じ部屋であっても対戦が組まれますが、
当時は東の力士同士、西の力士同士の取り組みは無かったんです。

なぜ今とは違い、そういうカタチになっていたのかというと、

力士の数が少なかったから

なんですね~。
でもそれ以後は現在に近づくにつれ力士の数も増えてきたため、番付の分け方も変わってきました。

  • 系統別総当り
  • もういちど東西制に戻り
  • 再び 系統別総当り

こういった変遷を経て、昭和40年(1965年)1月場所に現在のカタチである【部屋別総当り】が誕生しました。

この現在の分け方では、強い順に
東方一枚目>西方一枚目>東方二枚目・・・
という番付けの仕方なので、部屋も何も関係ありません。

ときどき東方の力士同士が当たることもありますが、
その時には番付けの低い方が西に回って相撲を取ります。

なので、東・西と分けることにほとんど意味はなく、
東の力士が多く勝ったからといって東チームが表彰されるということもありません。

今でも分かれているのは「昔の東西制の名残り」なんですね。

次にちょっと「おまけの豆知識」として、ボクシングの赤青コーナーの意味を書いてみました。
こちらも「なんか知らないけどそーゆーもん」って感じで受け入れてしまっていたことですけど、調べてみるとキチンと意味はあるものでした。

おまけ:青コーナーと赤コーナーにも意味がある

ボクシングやプロレスの赤&青コーナー。
こちらは色相心理学的な意味合いをもった分け方になっているんです。

青コーナーにチャレンジャー、赤コーナーにチャンピオン(ランキングの高い方)というふうになっているのですが、それぞれの意味は

  • チャレンジャーには果敢に挑む【闘志の赤】が見える青コーナー
  • チャンピオン(強者)には【冷静の青】が見える赤コーナー

なるほど~!って感じじゃないですか!?
気になるけど、ま、いいや~って今まで流してきたことですけど、こんな意味があったとは。驚きました。

カンガルーのボクシング

さいごに

相撲の力士が東と西に分かれている意味。
というか「並べた時に強い方が東」という以外にはあまり意味は無かった、というお話でした(笑)

でもこういった「名残り」を大切にしているのも日本らしくていいですよね。

ただ、せっかく分かれているんですし?

東と西で総勝ち星数で比べて、多かったほうの力士にはちょっとイイコトがあるとか(何かは知らないけどw)そういうのがあっても面白いのかな~と思ったりもしますね。

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